2500年の知恵1⃣ 仏教のすすめ

日本で”宗教”と聞くと、

なんだか”胡散臭い”とか”あぶない”とかちょっと”頭いっちゃってる”なんて少しいきすぎたレッテル貼りで、

特に日本ではオウム真理教の地下鉄サリン事件やイスラム原理主義が起こしたとされるアメリカの同時多発テロ以降、

”日本人は無宗教”なんて言われていましたが今まで以上に”宗教嫌悪”に拍車がかかっているように思います。

しかし、事実として世界で一番売れている本は聖書であり、今の日本のモラルも現代の生活と共に形は多少変わろうとも元は仏教、神道、儒教などが根底にあります。

”宗教”なんてきくと大げさで普段の生活からかけ離れているように感じてしまいますが、

宗教自体少しづつ読み解いていくと実は私たちの生活においての根本的なことや当たり前に思うことなどをいっています。

19歳の時に友達と啓発本を読みあさっていたんですが、宗教、僕の場合は特に仏教の本を読むにつれ、

啓発本は単に”優しい、入りやすい宗教本”なのだなと感じます。というのも、啓発本の内容の多くは、元を辿れば仏教の教えになぞられたものばかりだと理解したからです。

なので仏教のすすめ第一回として、

1、仏教の生みの親 ブッダ = 釈迦 とはどんな人物だったのか?

2、仏教の基本概念とは?

3、仏教と社会学

についてかいていきます。

1、仏教の生みの親 仏陀 = ブッダ とはどんな人物だったのか?

ブッタがどう仏教を生み出したか。

それは、みなさんも知っての通りブッタが幼少期から積み重ねてきた人生、そして様々な修行の末、

”悟り”にたどり着いたというところから仏教の教えがはじまっています。

では、いわゆる”悟りの境地”とはどのような状態か?

細かいところは各宗派などにより多少異なりますが、大まかに言えば

さとりは初期仏教から部派仏教あたりまでは究極目的であり、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践される。仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫(ぼんぶ)が煩悩(ぼんのう)に左右されて迷いの生存を繰り返し、輪廻(りんね)を続けているのは、それは何事にも分別(ふんべつ)の心をもってし、分析的に納得しようとする結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱(げだつ)しなければならない、その方法は事物を如実(にょじつ)に観察(かんざつ)することで実現する。これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。

この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」であるとされる。煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということである。パーリ語本の大般涅槃経(大パリニッバーナ経)には、釈迦は沙羅樹林で入滅し涅槃に入ったと説かれている。また、悟りを求める心を菩提心という。悟りを求める点では部派仏教も大乗仏教も共通であるが、自分のさとりを追求する部派仏教の場合、声聞(しょうもん)は四諦(したい)・八正道の教えを聞いて修行し、縁覚(えんがく)は十二因縁を覚ってそれぞれ解脱するとする。

釈迦 = 仏陀 = 

手塚治虫 ブッダ

りょう1

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